左の140=右の150

パリーグ、サウスポーラッシュの思い出







00〜01年ごろの西武ライオンズは「左で投げる投手なら、誰でも抑えられる」

と揶揄されるほど、左投手に弱かった。

実際に左投手に弱かったのかは不確かだが、

この2年間のうちに、カルロス(Bw)に3敗、ロバーツ(M)に3敗、など、

特定のサウスポーに弱く、下柳(F)には10敗、前川(Bu)には12敗、

さらにはエルビラ(Bu)にノーヒットノーランを達成されるなど、完全にカモにされていた。

そういうわけで、パリーグには左腕外国人投手ラッシュが訪れることになった。

この2年間にパリーグに在籍した左腕外国人投手は総計13人もいた。

    というわけで一覧にしてみました。

Bw 具 臺晟 現役(2004現在)今年で4年目 2002年の防御率2位。チーム事情で勝ち星は少ないが、韓国No.1左腕の触れ込みは伊達じゃない。直球のキレが素晴らしい!
Bw ヤーナル Edward(Ed) Yarnall 01〜02の2年間で10勝をするが、外国人枠の関係で放出される。ノーコンだったが、ホークスに対して強かった。
Bw カルロス Carlos Pulido 00〜01の2年で8勝。中継ぎに先発もこなした。球速が速く、角度があって打ちにくいサイドスローだったがやっぱりノーコンだった。
Bu エルビラ Narciso Elvira 来日した00年の西武戦でノーヒットノーランを達成するも、結局2年で8勝しかできなかった。息子が見に来たときだけ好投していた。
Bw ブロウズ Terry Burrows 00年。14試合で5勝と勝ち星はあったが、四球癖がたたり解雇。
M ロバーツ Chris Roberts 00年。あげた3勝はすべて西武から。この人も元凶のひとつ?
H ヘイニー Chris Haney 01年、西武対策として入団するが競争に負け解雇、2勝に終わった。
F オーミー Kevin Ohme 00、01年の2年で2勝。特に特徴のないスリークォーター。
F オレラーノ Rafael Orellano 98年に将来性を買われてテスト入団も、球に球威がまったくなく、3年間で2勝しかできなかった。
M ノット Eric Knott 00年。5試合で1勝したが防御率は11.02、当然解雇。
M クベンカ Jeffrey Kubenka 01年。3試合で1敗。先発でダメ、リリーフでもダメ・・・
Bu フリント Wil Frint 01年。1試合のみ。ガルシア、ギルバートと共に一年で解雇。この年チームで活躍した外国人はローズのみ。よく優勝できたものだ。
F タティス Ramon Tatis 00年。1試合のみ。2つアウトをとるのに3安打4四球・・・

コメントはほとんど記憶に頼ってますので、まちがえてたりもします。あしからず。

 



現在のプロ野球において外国人選手は、結果が出なければすぐ解雇される立場にある。

それでも、毎年20を超える外国人選手が祖国から遠く離れた日本へとやってくる。

そんな彼らが、一人でも多くジャパニーズ・ドリームを手にいれることができるよう願いたい。

                                



                                  文  鮫島 幸雄